ZARDは1991年に3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース、そのリリース数から想像出来るように、ZARDは長戸大幸プロデューサーの下、坂井泉水さんもミュージシャンもスタッフも、スタジオでの作業に相当の時間を費やし、まさに制作を中心に進んでいきました。92年もシングル2枚、アルバム1枚と多くの作品をリリースしていますが、シングルに関しては1枚目、2枚目、3枚目のリリース間隔は各々4ヶ月強でしたが、そこから4枚目の「眠れない夜を抱いて」までは9ヶ月空いています。もちろん、長いアーティスト活動の間にはこういう事はありますが、実はこの間に、ZARDは色々試して、方向転換していったのです。さっそく当時を振り返ってみたいと思います。
先月号でも取り上げたように、デビュー当時のZARDのコンセプトは“ロンドンの曇天をイメージしたような”“UKサウンドを基軸にした”“ハードなロックを彷彿とさせる”ものでした。しかし、2枚目のアルバム『もう探さない』の収録曲には演奏、アレンジはディストーション・ギター、重たいグルーヴのドラミングになっていても、メジャーなコード進行になっているため、曲全体が明るくどこまでも突き抜けて行きそうな「Forever」、サビでメジャーともマイナーともつかないコード展開のため、坂井さんの歌も切々と伝わってくる「ひとりが好き」等、少し変化の兆しも見えました。
ZARDが次のシングル候補曲としてレコーディングを始めたのは「眠れない夜を抱いて」でした。この曲はコード進行に特徴があります。Aメロの8小節はキーがBで、ベースが1小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきます。この1小節毎にベースラインが下がって行くのは2枚目のシングル「不思議ね…」と同じです。次のAダッシュの8小節はキーがDに転調(短三度上がる転調)しており、ここがこの曲の印象を決定付けていると思います。ちなみにAメロ同様にベースが1小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきます。次のBメロの8小節はキーがBmに転調(平行調)します。そしてサビでは、キーがDに転調(同主調)して、Aメロのキーに戻っているわけです。このサビでは、1小節に2拍ずつベースが一小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきますが、このベースラインが2拍ずつ下がっていくというのは6枚目のシングル「負けないで」のサビと同じです。
また、アレンジやミックス等レコーディングで何度もやり直しをして練っていきました。シンセのシーケンス・フレーズ(打ち込みで繰り返して入っている音)でカリンバというアフリカの楽器をイメージした音が、Aメロ、Aダッシュに入り、2枚目のシングル「不思議ね…」にも入っていたシンセ・ベルがさらに目立ち、91年にリリースされた楽曲に比べると、一気にポップな仕上がりになりました。ジャケットも曲に合わせて明るい柔らかなイメージの写真が使用されました。長戸プロデューサーの語録に“コンセプトは決めてしまうと、その通り進めないとならない時があって、かえって足かせに成ってしまう事がある。”というのがあります。デビュー曲がオリコンランキング9位と上々のスタートを切ったZARDでしたが、コンセプトに頼り過ぎず柔軟に制作を進めた結果、坂井さんの歌声が引き立つ明るいイメージの作品になりました。4枚目のシングルとして92年8月5日にリリースされた「眠れない夜を抱いて」は、オリコン週間ランキング初登場18位、その後も売り上げを伸ばし7週目で8位にランクイン、その後のZARDを認知させるきっかけとなりました。
新しいZARDの制作内容が決まり、並行してアルバム制作も急ピッチで進みました。シングルの1ヶ月後の9月2日にリリースされた3枚目のアルバム『HOLD ME』には、明るく切ない「誰かが待ってる」、切なさに強さと優しさが加味された「サヨナラ言えなくて」「遠い日のNostargia」、明るく突き抜ける曲で人気も高い(2008年の人気投票では第一位)「あの微笑みを忘れないで」、可愛らしさも感じられる「好きなように踊りたいの」、明るく壮大なバラードの「So Together」等、前作よりもキラキラした楽曲が多くなりました。このアルバムはオリコン週間ランキングで初登場2位にランクイン、まだ大ヒット曲「負けないで」がリリースされる5ヶ月近く前の事で、その後も売り上げを伸ばし、ミリオンセラーを記録しました。
さらに5枚目のシングルとしてTUBEのギタリストの春畑道哉さん作曲の「IN MY ARMS TONIGHT」が「HOLD ME」のわずか1週間後の9月9日にリリースされました。ギターが強く切なくて、ピアノのフレーズに特徴があり、その後のZARD作品のカラーを築き上げた楽曲と言えます。アルバム直後のシングルは売り上げの数字が伸びない事が多い、と言われている中では異例の初登場11位、最高位も9位と、内容も売り上げも「眠れない夜を抱いて」と並ぶ作品になりました。
ZARDはテレビの音楽番組の出演(歌を披露する事)も決まりましたが、「眠れない夜を抱いて」で4回、「IN MY ARMS TONIGHT」で2回と、この2曲だけで92年は6回もテレビに出演しました。長戸プロデューサーの指示に“ノーメークで髪も洗い立てで何もしないで出演するように”というのがありました。テレビは顔をアップにして映しますが、そうするとファンデーションが目立ち不自然になる、という物でした。日常で他人の顔にここまで近づいて見るという事は実際には少ないから気づきにくい事でした。髪も自然のままのお陰で、照明に当たって顔までもが奇麗に光り輝きました。歌やパフォーマンスが清らかで世間にインパクトを与えました。テレビは一度に1000万人の人が観るため認知させる効果は十分でしたが、同時に失敗も許されない状況でした。徐々にバラエティー的な要素が必要になりつつあったトーク場面では、坂井さんが緊張してしまう事が多々有りました。またテレビ番組に生出演となると、例えば金曜日の番組であれば、リハーサルを会社のスタジオで火曜日にやり、水曜日から金曜日までは声をフレッシュにするためにレコーディングも中止にしました。坂井さんはもっと歌詞を書いて制作をしたいという希望がありました。こうして翌93年では「負けないで」を1回歌っただけで、それ以降は歌番組に出演して歌を披露する事はなくなりました。
一方で予定していたライヴは急遽中止になりました。体調不良でも決行する事は可能でしたが、プロデューサー曰く、ZARDの音楽を伝えるためのパフォーマンスが現状では演奏も歌も出来ていない、との事でした。しかし、これをきっかけにバンド形式にこだわらず音楽の方向性の多様化にチャレンジしたり、作曲家も編曲家もより一層メンバーに縛られずに自由に制作したり、レコーディングに時間を費やす事が出来たりと、ZARD自体はプラスの方向に向かっていきました。ZARDはこうして92年に、楽曲とビジュアルの方向が定まり、スタジオでの制作のスタイルも確定して、今も受け継がれているイメージの基礎が出来たのでした。
Being Works 第19回 ZARD 1992
text by Hiroshi Terao